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にしすーごと。

現役女子高生が本音を綴る学級日誌。

スキンシップしてますか?触れあうことで愛されている実感が生まれる

メンタル 子育て 恋愛 恋愛-モテ

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してねーわ、私。

そういえば、大人に近づくにつれて、誰かを抱きしめるとか手をつなぐとかなくなってきました。たまに人肌恋しくなって友達に抱きついたりすることもありますが、それも昔ほどじゃない。

愛されてる実感というのは肌と肌が触れあうことで生まれるのかなと思います。受け入れられてる!という実感こそ、愛された記憶につながるのですから。

 

愛された記憶がないと愛を渇望してしまう

今朝、Twitterを見てるとはるかぜちゃんのこんなツイートが目に飛び込んできました。

私はいろんなものに執着しがちです。

たとえば、誰かからの好意。

私は自己愛はあるものの、誰かに愛されるという経験(というよりは記憶かな?)があまりない。そればかりか粗末に扱われた経験や記憶はたくさん持っています。だから「その人からの好意がなくなったら、もう誰にも与えてもらえないんじゃないか」って思っちゃうんですよね。

自分で書いてて、重いし余裕がないし必死だなこいつって思うんですけど、誰かに愛された経験が乏しい人はそれこそ愛を渇望してるわけですよ。

 

愛された記憶はスキンシップによってつくられる

科学的根拠も何もないんですけど、16年間生きてきて感じているのは愛されるって触れられることなんだってことです。

先日出会った子のなかに、持ち前の素敵な笑顔と明るさで周りにいる人まで元気にしてしまうような女の子がいます。その子はとにかく笑顔で話しかけ、話し相手にたくさん触れていました。

本人は無意識でやっているこの行動が、相手に安心感を与え、心を開きやすくするのでしょう。実際、私も彼女のことが大好きになりましたし、初対面にしては素の自分を見せることができました。(つまり、思いっきりはしゃいだりできたw)

 

相手に触れることはあなたを受け入れていますよというサイン

家族の何が大事って、触れあうことに抵抗がないことなんですよ。そして、友達や恋人みたいに1から関係を築いたり距離感をはかったりしなくとも、生まれたときから傍にいることです。(毒親とかは別ね。一般的な話として)

特に両親は自分がその二人から生まれてきたという意味でも、初めて出会う人間という意味でも、とても大切な存在です。

とはいえ、反抗期や思春期を経て、親子関係は微妙なものになっていきます。喧嘩が増えたり、褒められることがなくなったり。そうしていくうちに、スキンシップも当然減るんですよね。

じゃあ、両親から与えられなくなったスキンシップを次は誰が与えてくれるのでしょうか。実はそれは友人だったり恋人だったりという自分と近しい他人なんです。

話の流れで肩をたたいたり、手をつないだり、喜びに抱き合ったり。

このようにスキンシップされることで、この人たちは自分を受け入れてくれてる!私はここにいていいんだ!と思えるんです。

 

まとめ

私たちは成長するにつれて、自己が確立され「自分はみんなとは違うんだ」という孤独感に苛まれるようになります。他人との差異にこれ以上傷つくことを恐れて、周囲との間に壁をつくるようになります。自分でつくったはずの壁がみるみる厚くなって、自分でも壊せないほど分厚くなってしまうことも。

スキンシップはその孤独の壁をぶち壊す第一歩になりうるんです。

受け入れてもらえていると実感は、愛されていたという記憶につながります。肌と肌の触れ合いはどんな言葉にも敵いません。どんな言葉よりもその人の心に直接響きます。

そして、愛されていたという記憶は何よりもその人の自信になるのです。

 

ひつじのヒトコエ

愛されてぇー!笑

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