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にしすーごと。

現役女子高生が本音を綴る学級日誌。

意識高い人たちが怖すぎる件。テスト前に頑張る理由が欲しい。

メンタル 学校 日記 夢と野望

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私は基本的に意識低いです。常に何かに熱量を傾けて「やるぞぉぉぉぉ!」みたいな真似はできません。ただ、やるときはやる仕様なので、押さえるべきとこは押さえているつもりです。

私は精神的な波が人より激しいためか、一度すごく頑張ると消耗して燃え尽き症候群になってしまうんですよね。燃費が悪いので、たくさん集めた燃料もすぐに尽きてしまいます。だから、適度に頑張らないことに力を入れています。

さて、中3の2学期くらいから「意識高い系の人って怖いなぁ」と感じる出来事が増えてきました。ゆるゆるふわふわやってると、意識高い系の人たちを脅威に感じてしまって。そんな話です。

 

学級日誌に書かれていたことば

先日、他のクラスの学級日記を読ませてもらったんですが、成績が良くていわゆる「意識高い」人たちの言葉を読んでるとつらくなりました。

 

その人たちのページに並んでいたのは、「下の奴らを精神的に追いつめまくって頑張らせるべき」「頑張れないならやめてしまえばいい」という生徒が使うにしては、少々過激な言葉。

上位者補修をしてほしい、成績が上の人たちをのばしてほしいという気持ちはわかります。そっちの方が、学校としても良い方向に進んでいけると思う。

 

だけど、「勉強できる人が正義、できない人は悪」みたいな構図が見えるような気がして仕方ない。頑張る方向性が違うだけで、ここまで言われたくない。志が低いとか言われたくない。

 

進学校なので、勉強を頑張るのが前提であるというのは理解しています。勉強しないなら学校を変えろ、遊んで生きてろと先生方が言うのは、誇張表現だなと思ってまだ受け流せる。

だけど、生徒が言ってるのは少し怖い。

 

私も、人前で話したときについ辛辣な言葉を使ってしまったことがあります。

もしかしたら、私が運動会の予行の感想を述べたときに違和感を覚えた人たちは、今の私が感じてるようなことを思ったのかもしれない。

 

意識高い人たちはどこへ向かっているのか

私は怖いです。

勉強できる人たちは、何に向かって勉強しているのかわからないからです。学級日誌を読んでも、彼らの夢はどこにも書いてありません。「他の学校と比べてどうだ」とか「意識を高く持つべきだ」とか。そればっかり。

 

だから怖いのです。彼らは何をやりたいんだろう。夢をどこかに置いてきてしまったんじゃないかと思ったりします。

単純に自分の夢について書きたくないだけなのかもしれませんが、「成績をあげるために」とか「いい大学に入るために」とか、そればかり書いているからそういう側面しか見えないんですよ。そんな話をする機会もあまりないですし。

 

私の学校には、「医者になりたい」って人がたくさんいます。同級生に人の命を救いたいって人がたくさんいるのは、すごく誇らしいことです。

 

でも、私ね、思うんです。

お医者さんになるのは簡単じゃないけど簡単です。だって、ひたすら勉強して医学部に入って、医師免許とればいいだけですもん。「お医者さん」になるのが目的なら、東大の理Ⅲとか慶應の医学部にいかなくても、地方の大学でいい。今や、医学部ってどの県にも最低ひとつはありますからね。

理論上は、真面目に勉強さえしていればお医者さんになるのは簡単です。

 

人の命を救いたいから医者になりたいというのなら、お医者さん以外にも人の命を救える仕事はたくさんあります。

 

大切なのは何をやりたいか

私は他人に夢を訊くとき、「何になりたいか」ではなく「何をやりたいか」を訊くようにしています。また、自分が訊かれたときは「何をやりたいか」を答えることにしています。

 

「医者になりたい」が夢の人は、医者免許を取れば医者にはなれます。この時点で夢が叶ってしまっています。

逆に、「医者になって◯◯がやりたい」が夢の人は、医者になることは通過点に過ぎず、その先があるのでおもしろいと思います。

 

夢とは、常に追いかけ続けるものです。追いかける夢がなくなった日々に張り合いはないでしょう。 張り合いのない日々を送っている人は魅力的に映るでしょうか。いや、そんなわけない。

よく言われることではありますが、人生は一回しかないのだから、できる範囲でやりたいことをやったほうがいいと私は思います。

 

 

 

社会をリセットできないRPGに例えると

勉強ができるということは、ひとつの武器に過ぎません。その武器を特化するのもよし。別の武器を手に入れるもよし。

社会というRPGを行き抜くための武器はひとつじゃなくていいと思っているので、進学校に通ってそこそこ勉強をし、ブログを書いています。

魔法をつかって剣も使うみたいな感じです。だけど、それは私の戦い方。

剣に特化した戦い方があったっていいと私は思っています。

 

結局、ゲームオーバーにならなければいいんです。

目指す目標が違ったっていい。ポケモン図鑑を完成させるでも、四天王を倒すでも、ポケモンの遊び方って色々あるじゃないですか。

 

だったら、みんながみんな、同じ武器を同じ強さで使う意味ってありますか?

この集団に所属しているから、この武器をこの強さで使わなきゃいけない。この戦い方で倒さなきゃいけない。

それだったら、そんな集団やめてやりますよw←

 

 

学校って、色んな考え方の人が集まる場所です。これが正しい考え方で、これが間違った考え方なんてないし、あっていいわけがない。

成績がいいか悪いかなんかで、志の高さは測れないです。

なにより、同級生にそんな考え方してほしくない。

 

今の時代、何でも好きなものを突きつめてやっていけば、仕事になります。そっちに志を向けて、頑張ってる人がいたっていいじゃないですか。

武器を一個しか使っちゃだめなんてルールないんですよ。

 

進学校に通ってるからって、勉強という武器しか持っちゃいけないなんてことないです。

剣の強さはひとつの指標にはなります。それは間違いない。だけど剣の強さだけで、学校の素晴らしさとか測ってんじゃねぇよ!と言いたい。

勉強ができるかどうかだけで学校の素晴らしさなんてわからないし。

 

 

頑張る理由が欲しい

まあ、成績トップで「やる気ないやつなんか辞めてしまえ」と本気で言ってる人たちは、それだけ勉強に一生懸命に打ち込んでるんだと思う。勉強に部活に、まるで模範生みたいな生き方をできる人は尊敬します。

だけど、その生き方は凡人の私にとってはしんどいものに思えてしまう。

 

私には、先が見えないと行動に移せない部分がある。他人がその理由付けをどう思うかは関係ない。自分を納得させるだけの十分な理由がほしい。

ブログやらnoteをやってるのは、それが私の望む理想の生き方につながっていると思えるから。

 

じゃあ、学校は?授業は?大学は?

学校の授業は教養を身につける意味でも、すごくためになってるし、何より楽しい。(数学や物理を除いては)

例えば、授業で出てきた世界史の知識が、ニュースとか討論番組を見ているときに「あぁ、あのことか」と思えたりする。

だけど、テストで良い点を取るために勉強するのには、未だに違和感がある。一時期は、そのために頑張って勉強してみたりもした。だけど、この年になって、必死になってテストのために勉強をしている自分に、「何やってんの?」と問いかける自分を見つけてしまった。

 

大学には行きたい。自分が望む、第一志望校に。(まだ志望校は決めてないけど)

そして、幸運にも、私の通う学校には望めばそれ相応の力をつけるだけのカリキュラムが組まれている。それにのっとって勉強していれば、確実に力はつく。

志望校が決まれば、自然とそこに向かって努力するんだと思う。今はそのあたりのことが何も見えていない。

 

こんなことに疑問を感じていても仕方ないのはわかっている。何も考えずに勉強さえしていればいい大学にいけることも知っている。

 

だけど、考えずにはいられない。

授業を受けるのは楽しい。私は紛れもなく、授業を受けるために学校へ行っている。

テストに何の意味があるのか。と。

まあ、こんなことは勉強していないことの言い訳に過ぎない。1月は学校を休みすぎたため、テスト勉強が捗らない。

 

どこかで今回のテストを諦めている自分がいる。きっと、直前に暗唱だけ覚えるんだろう。

そう思いながら、私はテスト前のこの貴重な週末にブログを書き、大学のことを調べ、次の授業の予習をする。

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