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にしすーごと。

現役女子高生が本音を綴る学級日誌。

ブログを書くことは国語をすること。

学校-先生の話 学校

古典の時間は好きです。とても好きです。

理由は、先生の話がとてつもなく面白いから。

先生にはもう少し違った意図もあるのかもしれませんが、自分で色々結びつけて考えられるネタを提供されてる感じが好きで好きでたまりませんw

先日もちょっと考えてみたことがあったので、書いてみます。

 

 

古典の時間、先生の話

先日の古典の時間に、古語辞典で「ほど」という言葉を引く機会がありました。

「ほど」は、古文の世界で、時間や空間、人間関係など、あらゆるものの「間」を表す言葉です。

なので、「程度 様子」という意味は現在でも使われますが、それだけでなく、「(~している)時」「期間」「距離」「広さ 長さ」「身分」「年齢」など、非常に多くの訳し方を持ちます。

 

『古文の世界において、訳し方というのはニュアンスであり、意味はまた別にある。

これほど多くの訳をもつ「ほど」においても、共通する意味は「点Aと点Bの間」ということに過ぎない。』

と先生はおっしゃっていました。

 

その後で考えたこと

日本語はもっとも難しい言語のひとつだとよく言われますが、

日本語が難しいのは、ひとつの言葉がたくさんのニュアンスを持つからです。

言い方ひとつでその人の印象だって決まってしまいますし、相手の受け取り方によっても変わってしまう。

日本語ほど繊細な言語はきっとないでしょう。

 

文字にするというのは、数多くあるニュアンスの中からどれを選んで使うかということの繰り返しであり、積み重ねです。

その結果としてできあがったものが文章だと、私は思います。

また、話すことよりも書くことの方が、その傾向は強いです。

 

意識的にしろ、無意識にしろ、人は誰しも文字を書くときに言葉選びをしているはずです。 

だからこそ、言葉選びや文章の面白さによって、その人の深みや賢さ、他人への配慮までもが表現されてしまう気もします。

言い方が悪ければ、けんかになってしまうこともありますし。

 

 ひつじのヒトコエ

自分で自分の文章のハードル上げたような気がw

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